https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555

法華狼

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20200902/1599041173

シュレディンガーの『矛盾を「なるほど」と見つめる』姿勢
不心得が許される立場とそうでない立場があるという考えがあるのもわかる
「問題ある所業を無批判で御紹介」が許される場合と許されない場合が
あるというのはわかりにくいが、
その責を求めないか求めるかというのがひとつの基準か。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070618/1182137966
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101103/1288798376 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20180224/1519599584 のコメント
なるほど。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20110804/1312475042
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160819/1471615963
なるほど。

また、別の一般論として、よく嘘をつく相手が信用できないとしても、
嘘をついているとは限らないということは考えている。
嘘をついて整合性をたもつことには(選択的封殺やセカンドキルに奔ったりしなければ)
一般的にコストがかかるし、
都合のいい事実(トンデモインセプション罷り通るトンデモ世界の創造)が
起きれば嘘つきもわざわざ嘘をつかない。
特に「日本の誰かが肯定してればそれに準ずる」というものは、
発言や行動の整合性を問う時でも、個別差が大きいことは考慮されていいだろう。
ただしその個別差のためにエゴの犠牲者への共感すら
もたない所業に奔るのであれば、また話は違ってくる。
http://tenreeren.rentafree.net/entry/963725
http://tenreeren.rentafree.net/entry/967575
http://tenreeren.rentafree.net/entry/976384
これらは法華狼様が選択的封殺やセカンドキルに奔った好例といえるだろう/(^o^)\