法華狼
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20200409/1586438383
権力者への忖度とみなし度量を心配する姿勢さっすがの矜持でござい
なお「権力者への忖度」の好例
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20180224/1519599584 のコメント
>ちなみに日本政府関係のWEBサイト(ドメインがgo.jp)でも、
URLに略記として「JPN」を用いない事例があったりします。
下記ページに「研究所の紹介」というページへのリンクがありますが、
そのリンク先のURLは貴方が回避措置を求める表記になっています。
http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/SYOUKAI.html
予想にもとづく警鐘を高らかに主張なされながら
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160819/1471615963
実際に問題になっとることへの批判が的外れであるかのように
主張しよるのは矜持としてずれていないかという疑問はある
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190524/1558623600 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190821/1566394491 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190824/1566572400 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190830/1567090971 のコメント
「エゴが存在するからエゴじゃないのはずだ」などという理由で
法華狼様共自身を批判しないのであれば
それはそれである意味での「忖度」ではないかという疑問もある
ジャパンの蔑称啼き喚きに破滅させられたとある日本人の訴えに対して
それを封殺するような所業に奔ったとなると
法華狼様自身の矜持そのものが疑わしくなる
ジャパンの蔑称を「腹の内」で歓迎することは自由だとしても
それを「他者に求め」「外面に蔓延らせる」ことにどれほどの妥当性があるだろうか
83年以上前の時空の竜宮城で酒飲んでジャッジャッジャッジャッとでもしていて
ジャパンを「ジェイ」一文字で表す動きを知らなかったのだろうか
目の当たりにした各位にならって正直に言えば
法華狼様の状況認識能力では立派な高説が千枚張りにならないかと心配になる
権力者への忖度とみなし度量を心配する姿勢さっすがの矜持でござい
なお「権力者への忖度」の好例
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20180224/1519599584 のコメント
>ちなみに日本政府関係のWEBサイト(ドメインがgo.jp)でも、
URLに略記として「JPN」を用いない事例があったりします。
下記ページに「研究所の紹介」というページへのリンクがありますが、
そのリンク先のURLは貴方が回避措置を求める表記になっています。
http://www.ipss.go.jp/site-ad/index_Japanese/SYOUKAI.html
予想にもとづく警鐘を高らかに主張なされながら
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20160819/1471615963
実際に問題になっとることへの批判が的外れであるかのように
主張しよるのは矜持としてずれていないかという疑問はある
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190524/1558623600 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190821/1566394491 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190824/1566572400 のコメント
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190830/1567090971 のコメント
「エゴが存在するからエゴじゃないのはずだ」などという理由で
法華狼様共自身を批判しないのであれば
それはそれである意味での「忖度」ではないかという疑問もある
ジャパンの蔑称啼き喚きに破滅させられたとある日本人の訴えに対して
それを封殺するような所業に奔ったとなると
法華狼様自身の矜持そのものが疑わしくなる
ジャパンの蔑称を「腹の内」で歓迎することは自由だとしても
それを「他者に求め」「外面に蔓延らせる」ことにどれほどの妥当性があるだろうか
83年以上前の時空の竜宮城で酒飲んでジャッジャッジャッジャッとでもしていて
ジャパンを「ジェイ」一文字で表す動きを知らなかったのだろうか
目の当たりにした各位にならって正直に言えば
法華狼様の状況認識能力では立派な高説が千枚張りにならないかと心配になる