https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555

キルバーンのジャッジガンギマリ法華狼が「あてにならないわ」語りを?「批判する自由」そんなものは?「私達は良いけどお前達はダメ」とやらぬかされましても

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20250923/1758639561

「原作の描写は原作者にとっても絶対ではないという根本的な一般論」
「(原作者として)自分の娘(キャラクタ)の肌をさらすことはできない」
     ?     ?
「影響力のある立場から多大な問題のある発信がされていることを見かけて、
いくつか批判的に記録しておく。」出したり引っ込めたり

レポート記事の枠組みを理解できていない認定で
有効な批判にもなっていないってことに出来るらしい
「被害の訴えや批判のための引用」理解できていないのが何か?

「自由であることを明言した」←選択的封殺が実態

「レポート記事に書かれた範囲の吉田氏は基本的に自作の範疇で語っている。」その脚本家はぼざろ原作者であるのか?っていう

◎クリエイターの姿勢を否定することが「表現規制」であると仮定するなら、
現状で表現規制をおこなっているのは吉田氏ではなく吉田氏に反発している側だ。
もちろんクリエイターの姿勢を個人が否定するだけならば、
その否定が不当なものだったとしても、表現規制とは異なるが。

玉虫色かトートロジーかなんか
法華狼の都合すらェビデンスとは一体?
アツギ宇崎ちゃん戸定梨香温泉娘に撮影会への仕打ち罷り通すのが答え
ロンクハラライスの訴えに対してもだ

◎それこそ的外れな批判対象を選んだことにされかねない気もするが。

◎何の反論にもなっていないし、クリエイトへの否定に他ならない。

「自爆特権ゾンビ嘘吐きの恥知らずのクズ」呼ばわりに
「ジェイは三文字ですよね(ニチャアアアアアアアアアアアアアアアア)」

◎テンプレートを全否定しているわけでもない

◎「文化」として残ってきたテンプレートが批判されることは性的表現に限らない。
創作表現だけでなく、差別とはたいてい長年の歴史のなかでつちかわれてきたものだ

◎個別具体的なテンプレートが差別ではないと反論したいなら、
それこそ「適切か否かを模索する思考」が必要になる。
新たな表現とは、しばしば過去のテンプレートを疑うことで生まれてきた。
それでもクリエイターがテンプレート表現の良し悪しを考えることすら拒絶するのであれば、
どこまで表現の自由を嫌悪しているのだろうか。

なおジャパンの蔑称啼き喚きについてェ
長年の歴史の結果たるロンクハラライス拒絶では
またマーズアタックのナニカよりも「ぞあっ」晒しとまんないねェ
せめて「ノイズ呼ばわり程度」ヘッチャラへのへのかっぱつう「隙自語」はいただかんと
玉虫色かトートロジーかなんかに過ぎないんよ原稿単位バイバインぶちこまれましても