https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20190409/1554818555

法華狼

https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20220621/1655820240

(一部変更して引用)
ただ、一般的にこのような状況になった時、
最も苦しんでいると考えるべき相手に対し、
周囲がそれにひきずられる必要もない。
小さな苦痛や不満に耐えられなくなるほど心身が過敏になった場合、
被害者意識から周囲への攻撃的な言動にいたることがある。
その苦痛をうったえる文章も、ツイートくらいの文字数なら
説得力のある短文を書けても、
相手の意向も考慮した客観的な長文を書く能力は弱まっている。

異論を受けつける心身の余裕も失われている。
少し文脈のこみいった説明をされると、
それを理解する努力そのものが苦痛になり、
被害者意識を増大してしまう。
どれほどていねいでも反論をおこなえば、
それ自体が敵意を生みだしてしまうし、
主張の矛盾をつきつけられたとしても間違いを認めるとは限らず、
最初の主張に戻るだけで徒労に終わることもしばしばだ。
どれほど親身になっても、実りのある議論や会話は難しい。

同時に注意したいのは、過敏ゆえに不満や苦痛に耐えられなくなったことは、
その不満や苦痛が存在しないという意味ではないこと。
周囲からは不当な主張に見えても、
慣例として許容され無視されていた問題を過敏さゆえに気づけている場合もある。
しかし同時に、その問題ひとつを解消して苦痛がいったん緩和されても、
心身の過敏さはつづいているので、またすぐ別の苦痛や不満をうったえる。
それが周囲の徒労感を生んだり、妥当なうったえまでふくめて
不当なうったえであったかのような印象を生みだしてしまう。

いずれにしても、苦痛のうったえが妥当か不当かは
個別に判断しなければならないし、
その問題の解決とも独立して苦痛を解消しなければならないだろう。
とにかく大変な話になるが。
(引用ここまで)

おや随分と冷淡な作文ですこと
この長文で限定的適用は無理でしょ
しかも…立場コントロールできる!
追い追いゆるりと…